「新撰組の日」が年に2回あるのをご存知ですか?

「新撰組の日」が年に2回あるのをご存知ですか?

【月桂冠オンラインショップ】の矢野です。

幕末の京都で警護としての役割を担った組織「新撰組」
鳥羽伏見の戦いなど、伏見とのつながりも深い存在です。

いわずと知れた有名な組織ではありますが、「新撰組の日」というものがあるのをご存知でしょうか。

「新撰組の日」の由来

新撰組 発祥の地跡

「新撰組の日」とされている日付はふたつあります。

ひとつは「2月27日」
1863年のこの日、将軍 徳川家茂の命で新撰組の原点となる「浪士組」が結成されたことにちなみます。

もうひとつは「3月13日」
これは1863年3月13日に、浪士組の芹沢・近藤らが京都守護職を務めていた会津藩預かりとなって京都に残り、「壬生浪士」を名乗ったことにちなんでいます。
この「壬生浪士」が後の新撰組になりました。

3月13日の新撰組の日は、東京都日野市観光協会によって制定されています。

伏見と新撰組

京都 二条城

1867年10月14日、最後の将軍 徳川慶喜が朝廷に政権を返上したことで幕府による支配体制は終わりを告げます。
その後王政復古の大号令によって武家政治が廃止となり、新撰組は京都の二条城へ警護に入りました。

しかし既にその役目に就いていた水戸藩と対立し、新撰組は京都を離れることになります。
一度は大坂に入ったものの、大坂への途上に位置する伏見まで引き返しました。

伏見 十石舟

伏見では、幕府軍勢が陣取る伏見奉行所に滞在し警護を行っていたとされています。

翌1868年1月、幕府軍と倒幕派の対立は深まり、「鳥羽伏見の戦い」が勃発しました。
この戦により、多くの船宿や町家が消失しました。

御香宮

御香宮神社や料亭「魚三楼」には今でも焼けた手水鉢や弾痕が残るなど、戦いの激しさを伝えています。

伏見には他にも鳥羽伏見の戦いの史跡が残っています。
下記記事では、史跡を巡るお奨めコースをご紹介しています。

明治維新150年!30分で回る幕末めぐり・「鳥羽・伏見の戦い」

まとめ

2月27日と3月13日は「新撰組の日」です。

2月27日は新撰組の原点となる「浪士組」が結成された日。
3月13日は京都守護職を務めていた会津藩預かりとなった日です。

伏見には新撰組ゆかりの史跡が数々残っています。
月桂冠大倉記念館にも当時の遺物が展示されていますので、近くにお越しの際はぜひお立ち寄りください。